大会の合間に(2)

次に伊仙町犬田布岬の近くにある「犬田布義戦由来書」の看板とその石碑です。

江戸時代末期に過酷な黒糖収奪政策を敷いた薩摩藩の圧政は砂糖をすべて買い上げ、私的に流用することを禁じ、反する者、あるいはその疑いのある者に対して過酷な取り調べを実施しました。

ここ犬田布では1864年に無実の罪を着せられた老齢の人物の身代わりとなった人物に対して過酷な拷問を行い、見かねた住民が決起したいわゆる「犬田布騒動」という一揆の記憶を記したものですが、その身代わりとなった人物の島のために耐え抜いた義の心は「騒動」と呼ばれるいわれはなく「犬田布義戦」と呼ぶようになったと記載されています。

写真下の墓は身代わりとなって拷問に耐えた「為盛公」の墓で後世の住民が建てたもののようです。

薩摩藩は酷いことをしたのですが今の徳之島島民は地元になじもうと思って島をおとづれる人には温かく接してくれます。

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